#キャンディーズ #わな #その時"稲妻"が走った。
そのとき”稲妻”が走った。
⇑ これが本当のタイトルです⇑
TSUTAYAで2枚組のベストCDを借り「わな」を聞いた瞬間だった。それまでもキャンディーズのベストCDを持っていた。アイドルのベストCDを持っていたのはキャンディーズ(新品)とKYON2(中古)だけだから、そこそこのファンだったというところだろう。
持っていたCDには15曲入っていた。キャンディーズのシングル曲は「つばさ」を除くと16曲だから1曲足りない。そんなことも気づかない浅はかなファンだった。1曲足りないのは「夏が来た!」ではなく(笑)「わな」だった。
2枚組には30曲が入っていて、もちろん「わな」も入っていた。そこに”稲妻”である。
そうだ!キャンディーズにはこんな名曲があったではないか!
そして、僕はミキちゃんが大好きだったじゃないか!
その晩、数時間youtubeでキャンディーズを聞きまくった。僕がキャンディーズ学に入門した記念すべき日となった。
そんな経緯もあり「わな」には強いこだわりがある。
「わな」の振り付けには2種類ある。
初期のバージョンは、かなり複雑で派手な演出で、僕は①千葉県文化会館(1977/11/20。トレジャー2、みごろ#64etc)
②夜ヒット(1977/11/21)
③レッツヤン(1977/12/4放送。NHK-SONGS)
の3つしか知らない。
2回目の「♪あいつはしくじった」でミキちゃんがアップになる瞬間、画面から外れるランちゃんとスーちゃんが一回転している。3人のスキップもちょこまか可愛く、ミキちゃんの腕の動きも激しい。(派手すぎたので簡略化したのが定着し、中盤以降のノーマルバージョンになったと推測)
「わな」の衣装は、黒白赤の3パターンあるのは周知の事実だが、僕は、少なくとも赤2パターン、白2パターン、黒3パターン、計7パターンを確認している。その他に、ザ・ベストテンでは他番組から駆けつけたままの黒い衣装で歌ったモノがあるが、これは「わな」の衣装には数えていない。
「わな」の最大の謎は「タマネギ剥いてもくれる」の意味であろう。探究心の尽きない僕は、あるツテを使って、作詞の島武実先生にアポを取り、インタビューさせてもらった。内容は秘匿させて戴く。※サイン色紙あり。
「わな」の作曲は、言わずと知れた穂口雄右先生である。年下、春一、微笑など、多くの楽曲を手がけているとともに、初期のキャンディーズのヴォイストレーナーでもある。
穂口先生はハワイ在住。今では、多くのキャンディーズファンがTwitterを通じて穂口先生と交流している。しかし、穂口先生が著作権問題に取り組んでいてTwitterで発信されていることを最初に発見し、コンタクトを取り、返信を貰い、穂口先生との交流の道筋を開いたパイオニアは僕である、と自負している。
今は、Facebook「キャンディーズ部」の管理人をしつつ、「黄色いブログ」と連携して、キャンディーズ学を究めるため精進の毎日を送っている。キャンディーズなしの人生は考えられない「No Candies, No life」
#伊藤蘭 #ランちゃん #爆笑問題 のラジオ番組出演
ランちゃんが、爆笑問題の番組に出演するよ。
12月6日(日)13:00-17:00
TBSラジオ「爆笑問題の日曜サンデー」
ランちゃんの出演は、14時頃からのコーナー
▼14:00〜「ここは赤坂応接間」
お客様は、元キャンディーズの伊藤蘭さん。
あいうえお質問は、「い」「と」「う」「らん」から始まる質問を募集!
新曲「恋するリボルバー」もかかるかも知れませんね。(絶対かかる)
ランちゃんファンのHayakawa Yukioさんによる歌詞の書き起こし。
ブログ掲載、ご本人の了解を得ています。ありがとうございます。
#わな 1977年12月5日発売 #キャンディーズ 15枚目のシングル曲
今日は「わな」の発売記念日ですよ。
ボクが「わな」に特別な思い入れを持っていることは、知っている人は、知っていると思う。
この本に寄稿した文章にも「わな」のことしか書かれていない。
つたない拙稿を掲載してくれた編集者の方には、この場を借りてお礼を申し上げたい。
ただ、ボクは「そのとき”稲妻”が走った」をタイトルとして付けたのだが、本文の冒頭にに埋没させられ、編集者により凡庸なタイトルが付けられたのは、残念極まりない。あんな凡庸なタイトルをボクが付けたと思われたら、ボクの沽券に関わる大問題だ。
この際、訂正しておきたい。
あの寄稿の本当のタイトルは「そのとき”稲妻”が走った」ですよ。
「わな」は、喜多條忠氏の発言を元にすると、渡辺プロ社長渡辺晋氏から、1対1の対面で直接依頼された「1年で、キャンディーズを大人の女にしてやってほしい。4曲任せる」という、いわゆる「キャンディーズ大人化計画」である。喜多條氏は、3人の誰かが結婚でもするのか、と思ったと語っている(「我が愛しのキャンディーズ」より)。
キャンディーズとナベプロの契約は、3年契約であった。1973年9月1日「あなたに夢中」発売日を基点とすると、1976年8月末日で期間満了となる。キャンディーズには、そこで契約更新しない選択肢もあった。
契約には、契約期間満了の3ヶ月前迄に、更新しない意思を伝えないと、自動的に更新される条項があったようである。契約書その物を見てないので推測が入っている。その期限の直前に発売された「春一番」がキャンディーズにとって最大のヒット曲となる。契約更新を断れない状況が生まれていたのだ。
そして、キャンディーズは契約更新に応じた。ただし、3年契約ではなく、1年契約である。晋社長は、キャンディーズがいずれ解散することを理解し、それを受け入れて、三人を送り出す準備のために「大人化計画」を立ち上げたのだと思っている。
この喜多條発言には疑義が呈されているが、当事者の片方の渡辺晋氏が鬼籍に入った今現在、検証する手立てがない。
「哀愁のシンフォニー」は、大人っぽい曲ではあるが、大人化計画には含まれず、それ以前の曲と位置づけられる。
この会談が持たれたのは、1976年の秋「哀愁のシンフォニー」が発売されてから、1977年の春に「やさしい悪魔」が発売されるまでの間と推測する。(芸能界は、ものごとを先取りして進めるのが通例なので(正月番組は11月から撮影が始まるなど)哀愁のシンフォニーを絶賛熱唱中、ファンからすれば紙テープ乱舞中に、晋社長から話があった可能性もある。)
大人化計画は、1977年3月発売の「やさしい悪魔」から始まる。清純なイメージのキャンディーズに網タイツを履かせる。賛否両論あったであろう。大人化計画は、6月に、計画と無関係な「暑中お見舞い申し上げます」を挟んで、9月発売の「アン・ドウ・トロワ」、12月発売の「わな」で完結する。とボクは認識している。最後の「微笑がえし」は、大人化計画とは無関係な卒業ソング、というのがボクの位置づけである。
あいだに「暑中」が挟まったのは、郵政省とのタイアップが決まったからである。暑中見舞ハガキの売り上げに貢献した。
この衣装は、郵便番号マーク「〒」をデザイン化したものである。
「やさしい悪魔」の作詞は喜多條氏、作曲は吉田拓郎氏である。
自他共に認めるアイドル好きの拓郎は、歌唱指導を長く行うために、わざと難しい曲を書いたと言っている。イントロの「コツコツ」という音は、長年、レコーディングに立ち合った拓郎が自分のブーツで鳴らした、とされてきたが、拓郎自身が、スタッフの靴を借りて叩いたと発言し否定している。
「やさしい悪魔」「暑中お見舞い申し上げます」「アン・ドウ・トロワ」の連続3曲は喜多條氏が作詞している。「暑中」は大人化計画と無関係だし、大人化計画の集大成とも言うべき「わな」に喜多條氏は関わっていない。
「わな」の作詞は島武実氏、作曲は、ようやく戻ってきた穂口雄右氏である。
この集大成「わな」喜多條氏の名前はない。これが、晋社長が喜多條氏に「キャンディーズ大人化計画」を委ねたことへの疑義の一番の根拠であろう。
さて、話を「わな」に戻そう。
「わな」は、キャンディーズ15枚目のシングル曲、最後から数えて2枚目である(「つばさ」は数えない)。そして、ミキちゃんがメインボーカルを務めた最初で最後のシングルA面曲である。
ミキちゃんは正真正銘の音楽一家に生まれたサラブレッドで、キャンディーズ初期のころから絶対音感を持っていた。初期からキャンディーズの歌唱指導をしていた穂口氏も、ミキちゃんに大いに助けられたと述懐している。
そんな音楽性の高さゆえに、B面曲でメインボーカルを務めることが多く、ミキちゃんは「B面の女王」と呼ばれた。しかし、A面メインはなかったのである。
スーちゃんは初期4曲でメインボーカルを務めた。5曲目の「年下の男の子」以降は、10曲連続でランちゃんがメインボーカルだった。
「今度の曲はミキをセンターでメインボーカルにしよう」と提案したのは、ランちゃんとスーちゃんであった。
曲を作った作詞の島氏、作曲の穂口氏は、両名とも、ミキちゃんセンターを意識して作ったモノでは無い。と言っている。これは、ボクが直接、両先生から聞いた話なので、真実だと思っている。
だが、出来上がった曲は、見事にミキちゃんがセンターでなければならない必然性のある曲であった。それが「わな」である。
キャンディーズは、アイドルの枠を超えた美しいハーモニーが特徴でもある。三声コーラスのとき、ミキちゃんは低音を担当することが殆どだ。
「わな」では、
「でも、あいつはしくじった~」が大サビになり、メインボーカルのミキちゃんが、大音量で高音を歌い上げる。その直後に「Fall'in Love」とハモらなければならないが、そこでミキちゃんは低音を担当する。という離れ業を演じている。「B面の女王」の称号は伊達ではないのである。
さて、そろそろ21時になる。このタイミングでアップしておかないと、ボクが記念日になにもしない。と誤解されてしまうかもしれないので、一旦、アップすることとする。
このあと、衣装について検証していく予定である。
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残念ながら会場に行けなかった人には、チャンス到来です。
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#日経新聞 の #ランちゃん 記事 +シングル曲に関する私見
2020/11/12 2:00 にネット配信された記事
ランちゃん再び、変わらぬ歌声で魅了
慌ててコンビニに走り、12日の日経朝刊を購入。
帰宅後、確認したところ、朝刊には掲載無し。
夕刊を買いに行ったら、コンビニでは日経夕刊無し。
13日朝刊、今度は買わずに中身をチェックしたが掲載無し。
残念ポイント① 「私たちには時間が無いのよ」は、ドリフではなく
「いのうしろうさん」と共演した「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」のギャグですね。
残念ポイント② 「危ない土曜日」✕ → 「危い土曜日」〇
残念ポイント③ このライターは初回しか見てないが、3回目では、ひとりだけ、野太い声で「ランちゃーん」とコールした人が居た。
残念ポイント④ バックの女声コーラスは大きなミスをした。
というか、コンサートマスターの責任だと思うのだが、スーパーキャンディーズの「音階が間違えていた」。「音程を間違えた」ではなく、そもそもの音階を、原曲から変えてしまったのだ。
それで、ファンが納得するはずがなかろう。何を考えているのだ。怒。
それも、あ、このアレンジもありだな。こっちの方が良いかも。という改変ならば、許す余地は残る。その余地を微塵も残さない無残なものだった。
コンサート直後の記事
素晴らしいコンサート、いや、ライブであったことは間違いない。
コロナ禍が収まれば、中止になった地方公演が再起するかもしれない。
12月の新曲披露には、ビックリした。
去年はアルバム発売による歌手活動再開という形で、シングルがなかった。
TVでは、アルバムの中から「女なら」を何度が披露していた。
ボクは、この曲が65歳のランちゃんに一番合っている。名曲だ。と思っている。アンコールの2曲目で「女なら」を歌っている間中、この曲をシングルカットすればいいのに。と思っていた。
そのすぐ後に、別の曲「恋するリボルバー」をシングル配信すると披露してくれた。
シングルを希望していたボクには嬉しいニュースではあるが、「女なら」ではなくて残念も半分で、複雑な心境である。
ライブに行けなかった人は「恋するリボルバー」がどんな曲か分からないだろうから、コッソリと教えてあげよう。
ハッカドロップスが歌った原曲があるんだよ。
と、youtubeを見に行ったら、ハッカドロップスから「恋するリボルバー」だけが全部消されちゃってるね。右京さんが裏から手を回したのかな。