黄色いブログ

ヤフ風呂で、キャンディーズブログを書いていました。ヤフーが閉じてしまったので、こちらに引っ越してきましたが、操作ミスで全ての記事を削除してしまい、1からの出直しです。

ランちゃんコンサート

更新、途絶えて、申し訳ない。

 

さすがに、大阪公演は行きませんでしたが

日比谷野音

中野サンプラザ×2

に行ってきましたよ。

日比谷野音は、なんと前から2列目。

ただし、かなり下手(しもて)側。
裸眼でしっかりとランちゃんのお顔を目に焼き付けました。

ランちゃんは、もちろん、ほとんど真ん中で歌うのですが
、歌の途中で移動して、上手(かみて)、下手のお客様にもサービスしてくれます。
どの曲だったか覚えていませんが、
上手に行ってから、下手に来て、中央に戻って曲終了。そしてMC。
という場面がありました。
ランちゃんが下手に来たときは、精一杯、両手で手を振って応援しました。
ランちゃんと目が合ったのは、ボクの錯覚ではないと信じています。

曲終わりのMCで
両手を振って応援して下さった方もおられましたが
私も一杯一杯なので、お答えできず、申し訳ありませんでした。
と言っていました。

あれは、ボクのことを言ったのに、間違いありません。
(信じると、それは真実となる)

サンプラザは、残念ながら20列以降でしたので

お顔はハッキリとは見えませんでしたが
楽しい時間を過ごさせて貰いました。

 

ランちゃん、ありがとう。またね。

7月17日だねえ

1977年7月17日、日比谷野外音楽堂にて、キャンディーズが「解散宣言」をしました。
「私たち、今度の9月で解散します」。ランちゃんが、涙を浮かべながら、振り絞るように絶叫しました。
「普通の女の子に戻りたい」という名言がでたのも、この日です。(78年4月4日のファイナルカーニバルで言った。という誤情報が、沢山流れていますが、騙されないようにしてください)
ここまでは、だれもが知っている、ウィキペディアでも分かる情報です。(ただし、伊藤蘭でググっても、ウィキペディアに到達するのは大変です。「伊藤蘭ウィキペディア」で検索してください。)

 

この7月17日の「解散宣言」は、スタッフも誰も知らず、3人で決めて、会社の了解を得ずに、「宣言してしまった」というのが、社会の定説です。
キャンディーズのバックバンドは、MMPというバンドでした。キャンディーズは、当時のアイドルには珍しくライブ活動に力を入れていたので、同じ事務所のあいざき進也のバンドをしていたMMPを引き抜いて、キャンディーズ専属にしました。
MMPのメンバーは、若干の入れ替わりがあり、ドラムスの王子聡さん(演奏の音が大きいことと、名前から、ダイナマイト・プリンスと呼ばれていた)は、1976秋に加入しました。それまで、定着した仕事がなかった王子さんは、キャンディーズのバックバンドに入ったことで、これで当分は仕事は安泰だ。と安心しました。
その王子さんと、小岩の飲み屋を3~4軒はしごして、始発まで飲み明かしたことがありますが、王子さんも、その日(7月17日)、キャンディーズが解散宣言するなんて、全く知らず、バックで演奏しながら、「キャンディーズが解散してしまったら、これからの生活はどうなっちゃうんだ。」と考えたそうです。その飲み明かした日に、直接聞いた話ですから、間違いありません。

 

さて、解散宣言の話をするには4年前、キャンディーズのデビュー当時。よりも、もっと前に遡らなければなりません。
ウィキペディアでも分かる情報として、キャンディーズ渡辺プロダクションの所属です。渡辺プロダクションには、若手養成所として東京音楽学院があります。そこの学生の中から、有望な子がスクールメイツに抜擢されます(スクールメイツは、ジャニーズJr.と思えば良い)。
歴史的事実としては、ランちゃん、スーちゃんは、1969年に学院に入学。ミキちゃんは1年遅れて、1970年に入学します。3人とも、スクールメイツに抜擢されます。
この1969年に、3人は、奥多摩のキャンプ場で偶然に知り合い、意気投合し、3人で一緒に歌手になろう。と固い約束を交わします。その証として、それぞれお気に入りのアクセサリーを、河原に埋めたそうです。
固い約束に従い、ランちゃん、スーちゃんは、69年に学院に入学しますが、ミキちゃんは両親に反対され、説得するのに時間がかかり、1年遅れで入学をした。と説明されています。
キャンディーズの3人も、番組のインタビューなどで、奥多摩のキャンプ場で知り合ったんですよね。などと尋ねられると、「え、ええ」と曖昧に肯定していました。決して、明るく「そうなんですよ。奥多摩で偶然会ってね、スグに仲良しになったの」とは答えていません。
当時のファンは、この奥多摩伝説を、本人たちも消極的ながらも肯定するものだから、信じ込んでいました。解散後に、これは、売り出すために会社が作ったストーリーだったことが明らかになっています。(ウィキペディアでは、諸説がある。となっていて100%の否定はしていませんが、熱心なファンの間では公知の事実となっています。当時、信じ込んでいたファンの中には、そのまま信じ続けている人もいるでしょう)

 

ランちゃん、スーちゃんがスクールメイツに入ったのと同期で、太田裕美も入っているので、太田裕美キャンディーズになっていたかもしれない説。がかなり根強く語られます。太田裕美とは、音楽性も違うし、声質が違うのでハーモニーが完成しないので、この可能性はゼロだったと断言できます。太田裕美自身が否定する発言をしています。

 

 

ちょっと、端折って、1973年9月1日、キャンディーズは、Sakuragiさん大好き「あなたに夢中」でデビューします。このとき、キャンディーズは、渡辺プロダクションと3年契約を結びます。3年契約ということは、1976年8月31日まで。だったでしょう。実際の契約書を見ていないので、確認する術はありません。
3人にとって、キャンディーズは、活動の終着点ではなく通過点であり、3年間は必死に頑張って、その後の自分たちの進む道は、その時に考えよう。という気持ちだったと思われます。
1976年4月に、最年少のスーちゃんが成人します。丁度良い区切りと考えたのでしょう。

 


3年契約でしたが、なかなかヒット曲がでません。当時は、シングルレコードは、1年4曲、3ヶ月周期で新曲を出すのが常識でしたから、翌年9月には、5曲目が発売されても良い時期でしいた。しかし、1974年9月1日は、4曲目の「なみだの季節」が発売されました。1曲分、少ないです。
つまり、キャンディーズは、渡辺プロダクションにとって、目玉商品ではなく、どちらかというとお荷物でした。「全員集合」にレギュラー出演すれば、それなりの人気はあるのですが、曲のセールスという面では、劣等生だったのです。
3年契約だったのですが、1年経つか、経たないかの時期に、「キャンディーズを解散させて、(当時センターだった)スーちゃんをソロデビューさせよう」という企画が出たほどです。
3人は、その情報をキャッチし「私たちを事務員にしないでください」と直訴の手紙を書いたとも言われています。

 

デビュー当時は、最年少ながら、一番歌唱力があり、一番可愛らしいスーちゃんをセンターにして、スーちゃんのイメージに合わせて「内気なキャンディーズ」路線を繰り広げたのですが、成功しませんでした。
転機になったのは、1975年2月21日発売の5曲目「年下の男の子」でした。レコードデビューして1年半。当初はそれほどでもなかったランちゃんに色気が出始め、ファン層の中心である大学生たちのランちゃんを見る目つきが変わったのです。それを察知したスタッフが、「センター入換」という大手術を行い、「内気な女の子」から「年上のお姉さん」路線に切り替え、「年下の男の子」でスマッシュヒットを起こしました。
このヒットにより、3年契約の途中打切話は、立ち消えになりました。

 

キャンディーズの代表曲は、何故か、春にヒットします。
1975年2月21日発売の「年下の男の子」はもちろんのこと。
翌1976年3月1日発売の「春一番」は、キャンディーズを、一躍トップアイドルに押し上げました。
さらに、1977年3月1日発売の「やさしい悪魔」は、キャンディーズの新境地を開き、網タイツが、少年たちの男5キロを刺激しました。
1978年2月25日発売の「微笑がえし」は、初のヒットチャート1位を獲得しました。
キャンディーズは、結局「年下」「春一」「悪魔」の3曲で、3年連続で紅白歌合戦に出場を果たします。「微笑」もヒットしたので紅白の可能性はありましたが、解散したので、その夢は叶いませんでした。

 

さて、お気づきでしょうか。
1976年「春一番」と1977年「やさしい悪魔」の間に、3年契約は満了しました。
渡辺プロダクションは、延長を希望します。恐らく、3年延長を申し入れたのではないでしょうか(個人的推測です)。しかし、キャンディーズは1年契約を選択します。
あくまでも、キャンディーズとしての活動は、青春の1ページに過ぎず、次のステージに進みたい。という強い意思が感じられます。


しかし、1年が経過すれば、また、渡辺プロダクションとの契約交渉が待っています。3年連続でヒットを飛ばし、紅白にも連続出場している「ドル箱歌手」ですから、渡辺プロダクションが、そうそう簡単に手放すとは思えません。(解散&スーちゃんソロデビュー計画とは、正反対になりました。ヒット曲の力です)
しかし、キャンディーズには、契約を再延長する意思はありませんでした。

 

状況証拠を総合すると、1976年秋に締結した1年契約には、「契約期間満了の6ヶ月前までに、「契約を更新しない」と書面で通知しないと、自動更新となる」という条項が入っていたと思われます。
仮に、契約満了日が8月31日だったと仮定すると、6ヶ月前は2月28日です。意外と早いですね。冬の間に、結論を出し、書面を提出しなければなりません。
2月28日を迎える前に、キャンディーズの3人は、担当プロデューサーや渡辺晋社長と、水面下で交渉していたでしょう。担当としては、ドル箱スターを、簡単に失いたくはありません。しかし、渡辺晋社長は、キャンディーズの意思を尊重したい、という気持ちがあったようです。残念ながら、長年の癌闘病が悪化し、社内での影響力が低下していました。
契約を更新する・更新しない。話合いでの結論がでないまま、2月28日が近づいてきます。
懸命なキャンディーズは、2月28日よりも前に、契約を更新しない。という書面を内容証明郵便で、渡辺プロダクションに送りました。これで、法的には「更新しない」という結論がでました。
しかし、渡辺プロダクション側は、必死に慰留交渉をします。(と並行して、9月以降のスケジュールも埋めていきます。キャンディーズが翻意してくれた場合に備えての営業活動ですし、9月以降のスケジュールを入れないと、業界内に解散がバレてしまうからです。大人って、汚いですね)
でも、キャンディーズの気持ちは固まっていました。

 

のちに、ランちゃんがインタビューに答えた映像が残っています。
ランちゃんが、(要約)「私たちのコンサートに沢山のファンの方たちが集まってくださるでしょ。コンサートの終わりに、私たちも一生懸命歌っていきますので、応援よろしくお願いします。って言うんですけど、私たちは、もう9月で解散するって決まっているのに、その言葉を言うって、嘘になるでしょ。それがとっても辛かった」と述べています。

 

前にも書きましたが、キャンディーズは、積極的にコンサート活動を行い、全国を回りました。1977年春には、「やさしい悪魔」のヒットに便乗して「デビルキャラバン」で全国を回りました。
1976年の「サマージャック’76」に引き続いて、1977年夏は、「サマージャック’77」が開催されました。問題の7月17日は、ツアーの初日でした。

 

このときのキャンディーズの気持ちを想像してみたいと思います。
2月に、契約更新しないと内容証明を出したので、契約上は決着している。
にもかかわらず、会社は慰留でウルサい。
私たちは、9月で解散してしまうのに、それ以降のスケジュールもドンドン埋まっている。それは困る。
そして、なによりも、9月で解散するのに、コンサートで「これからも応援よろしくお願いします。」という嘘は、ファンを裏切ることになるので、言いたくない。

その上での苦渋の決断として、自分たちが一番大切に思っているファンの前で、私たちの気持ちを伝えよう。と解散宣言に至った。と考えられます。

 

キャンディーズの解散宣言を聞いた渡辺晋社長は、キャンディーズに「いいよ、夢を与えてくれてありがとう、そしてお疲れ様」と解散を許したそうです(ウィキペディアより)


出典が分からなくなっているのですが、昔、どこかで読んだ史料の中に、ランちゃんが解散宣言を切り出す前に、ミキちゃんの方を向き「言うわよ」とアイコンタクトをして、ミキちゃんもアイコンタクトで答えて、ランちゃんの決心が固まった。という話もありますが、何度、映像を確認しても、そのシーンを見つけ出すことは、僕にはできませんでした。ご存知の方は、ご教示ください。

 

*12 #キャンディーズ情報局

ランちゃん

 

日曜劇場「よっこらショ」

1981年放送

4月20日07:00-08:00

CS501_日本映画専門チャンネル

 

 

趣里ちゃん

 

魂のタキ火 スピンオフ60min

「コンプレックスを燃やす夜@名」

3月23日00:05-01:05

BS4K101_NHKーBS

4K放送なので注意してね。

 

*10 #キャンディーズ情報局 #キャンディーズ映画

キャンディーズ


【映画】

ザ・ドリフターズの極楽はどこだ!!
ザ・ドリフターズのカモだ!!御用だ!!
正義だ!味方だ!全員集合!!

3月29日 BS193 WOWOWシネマ
10:10-11:50
11:50-13:30
13:30-15:15

【バラエティ】
ドリフ大爆笑が初回から再放送開始

もう#1は終わっちゃたけど(#2にキャンディーズ出演なし)

#3が、4月11日に放送あり。

この回は、アグネスラムのセクシーショット満載
キャンディーズは、①アグネスつながりで、志村けんとハワイアンダンスコント、②哀愁のシンフォニー、③列車旅行に志村けん婆さんが乱入コントの3本。


 

ランちゃん

 

メディカルチーム レディダヴィンチの診断

3月20日15:00-00:10一挙放送

CS500/チャンネルNECO

ご存知、吉田羊主演の医学ドラマ

 

京都サスペンス 月下美人殺人事件

3月21日18:00-19:00

CS436/日本映画+時代劇4K

4K放送だから、見られる人は限られるかな。

サスペンスなのに2時間じゃなくて、1時間なので、アレ?アレ?という間に終わってしまうから要注意だ。

【ネタバレ注意】記事の最後尾に書くから、見たくない人は、見ないように。

 

 

 

スーちゃん

 

ちゅらさん

毎週月曜日放送中(1週間分まとめて)

3月22日は、145話~150話

CS222/トゥエルビ

ご存知、小学生のエリーと文也君が婚約し、大人になって結婚する物語。
スーちゃんは、エリーの母親「勝子」を演じる。

スーちゃんのこのドラマへの思い入れは強く、Pに「もし、続編を作ることがあって、その時、私が演じられなかったら、勝子に代役を立てず、勝子は死んだことにしてください」と申し入れた。Pには、病気のことも明かしたのだと思う。

第4シリーズまで作られ、スーちゃんは全部を演じきることができたが、第2シリーズではカツラ着用と睨んでいる。

 

 

不在宴会 死亡記事の女

3月27日06:00-08:10

CS560/AXNミステリー

 

スーちゃんは、エリート官僚三浦友和の妻。

夫に顧みて貰えず、ストレスを抱え、夜間に夢遊病的に馬鹿食いをする癖が根付いてしまった。

夫は、出張で地方に行く。

東京から偉い官僚様が来ると言うことで、地元では歓迎会が用意されていた。

ところが、友和は、近くの温泉に部屋を予約して、東京の彼女を呼んでいた。歓迎会に出てる場合ではなく、一刻も早く温泉に行って、女とチョメチョメしたいのだ。

そこで、地元の有力者達に「歓迎会には友和も参加していたことにして、自分たちだけで自由に楽しんでくれ」と言いくるめて、温泉ホテルへ向かう。

ホテルに着くと、先に到着していた女が、何者かに殺害されていた。

 

 

銭形平次スペシャル 殺意の遺産

4月14日13:00-14:30

CS502/時代劇専門チャンネル

風間杜夫版平次のスペシャル版。

短筒による殺人事件が起こった。

現場近くにいた女は、心の病にかかっていて、記憶も無いし、言葉もない。

はたして、彼女は目撃者なのか、はたまた犯人なのか。

 心の病が治れば、真実は明らかになるのか?

 

ミキちゃん

 

残念ながら、番組はありません。

 

趣里ちゃん

 

レッドアイズ 監視捜査班 第9話

3月20日22:00-22:54

地デジ041/日テレ

街中にある監視カメラの映像を分析し、犯人を逮捕する監視社会を先取りするドラマ。

捜査は科学的に行われるが、逮捕は亀梨君のアクションで解決する。

亀梨君のキャラが、佐藤健に被る。佐藤健の方がイケメンだし、演技も上手いし、アクションの切れもよい。佐藤健に足りないのは、ジャニーズ事務所でないことだけ。

趣里ちゃんは、監視カメラを操って、犯人の動向を追跡したりする役周り。映像解析やコンピュータのエキスパートなのだが、亀梨君の部下の元ハッカーには及ばないで悔しい思いをしている。

 

時効警察始めました 第5話

3月29日13:10-14:10

CS755/テレ朝チャンネル

 

時効警察の第3シリーズ

刑事訴訟法改正で、殺人事件に時効制度がなくなった今、あえての新シリーズ。

今回もオダギリジョーが、趣味で時効になった事件を捜査する。

バディはいつもの麻生久美子。に加えて、吉岡里帆も追加して、女子力アップ(麻生久美子が年取った分を補う?)

20年前に起こった密室殺人事件。ラジオ生放送のブースで起こった。
「マリリン」というコントコンビがパーソナリティーを務める生放送番組中、片方が蕎麦アレルギーのアナフィラキシーショックで死亡。

しかし、ラジオブースには、蕎麦の痕跡はなにもなかった。で迷宮入りで時効。

残った相方は、ピン芸人「栗山栗太郎」として成功していた。

そこに現れた美少女。死んでしまった方の娘だ。

父が死んだときには、まだ、胎児だったが、父を殺したのは栗山に違いないと確信して、オダギリジョーの捜査に便乗する。これが趣里ちゃん。

これ以上のネタバレは、遠慮しておこう。

最後の方で、無理矢理口角を上げる趣里ちゃんが、ちょー可愛いのだけ、お伝えしておく。

 

美詞ちゃん

 

残念ながら、番組はありません。

 

 

 

 

 

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ネタバレ注意

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ランちゃんが猫を自動車の中に放置していれば、完全犯罪だったのに・・・

 

 

 

 

 

 

あけおめ

ミキ ラン スー

ちゃん   ちゃん   ちゃん

 

 

3人それぞれにとって、よき一年になりますように。

 

そして、永遠にあなたたちの虜になった、キャンディーズファンが幸せでありますように。

#ランちゃんコンサート #MyBouquet #危い土曜日

録画、2度目、見てます。

はやりコンサートは生の方が良い。

 

前にも、どこかに書いたけど、ランちゃんお着替え中の「スーパーキャンディーズ」。音階を変曲しないで欲しかったなあ。何度聞いても、耳障りだ。

 

ところで、お着替えが終わったランちゃん。

キャンディーズ曲のコーナーに入る。

その1曲目が「危い土曜日」

言うまでも無くスーちゃん曲。

最初は「えっ?」と思ったけど

スーちゃんへのオマージュ

ランちゃんもスーちゃんが大好きなんだな。

そして、ファンもスーちゃんが大好きなことを、ランちゃんはちゃんと分かっているんだな。

と思った。

もちろん、ボクもスーちゃんのことが大好きだ。

 

危い土曜日を聞いていて、ちょっと気になった。

ランちゃんが音、外してる?

 

もーとー、もーとーっの後

 

どこに行くの二人

きつく肩を抱いたまま

恋の夜が回る

グルグル危い土曜日

 

のところだが、黄緑のところが、半音(1音?)下がっているように感じるのだが、ボクだけだろうか?

 

ランちゃんが高音域が苦手なはずはない。

キャンディーズ時代は高音パートを担当していたし、高音のある一定音域は、地声(表)でも、ファルセット(裏声)でも、両方使い分けて歌うことができた。ランちゃんの高音は、穂口先生のお墨付きだ。

そんなランちゃんが、高音が出せなくなって、誤魔化したりしない。そんなに高いキーの箇所ではないし、他の曲では、もっと高い音を普通に歌っている。
何があったんだろう。